新人看護職向けコラム
毎⽇が、何かの⼀年⽬
「どこ⾒てんのよ!」のギャグでテレビに出始めたのが2003年ごろ30歳の時。全国区のテレビ出演1年⽬。沢⼭の番組に出演させてもらいました。
有名になりたい!と愛知県から上京したのが25歳の時です。⾃分が⼀番⾯⽩い、と謎の⾃信を引っ提げて意気揚々と出てきましたが、あっという間に⾃信喪失。⾯⽩い⾯⽩くない以前に、舞台に⽴つ⼈たちのプロの⽴ち⽅に圧倒されまして。⼒の差を肌で感じました。
とはいえ、地元に帰るわけにもいかず、ネタを夜中までコンビニで作って、ネタ⾒せに⾏って、バイトに⾏ったりサボったり、先輩とパチンコに⾏ったり、男にフラれてカラオケに⾏って泣きながら⼭崎まさよしさんの「One more time,One more chance」を歌ったり、毎⽇起きたい時間に起きてお菓⼦⾷べるというテキトーな⽣活を送っておりました。消費者⾦融を「わたしの銀⾏」と呼びながら借⾦もかなりあり、いつ売れるかわからないゴールが⾒えない道を⾛り続けるのは不安がいっぱいで、狭い畳の家に戻ると泣くに泣けず、ただただ暗めの20代のわたしでした。
急に仕事が増えました。本当に急で、昨⽇まで六畳⼀間でみていた番組にどんどん出ていく⾮⽇常は、夢のようというより、必死で⼀体何をしているのかわからないまま余裕なく過ぎていきました。
先輩とパチンコに⾏く時間がなくなりさみしいが、お⾦は稼いでいるからパチンコの稼ぎでは興奮できず遠のいていきました。わたしは有名にはなりたかったが、そもそも何をしたいのか向かう先が⾒えない、有名になってみたものの⽣活しづらく、知らない⼈がわたしを知って、しかも何らかの感情を持って⾒ていることに疲れ、有名になった!と感じたその⽇に、全員わたしを忘れてくれ、と願いました。仕事が多すぎて、逃げ出したいほど余裕がなく、だけどそれを⼝に出してはならないような気配。元々⼈に頼ることは苦⼿でした。結婚をして出産をして離婚をして病気をして親を亡くして、まあ、⼈が⼤体経験することを10年くらいの間にわたしも経験し、⽣き⽅を変えてみる努⼒を始めることにしてみました。どんな状況にあったって「⾟かった」というネガティブな感想を持つのが得意なわたし。いいとこ探し始めようの⼈⽣の旅に出ることにしました。
そう考えてみると、お⾦もないが束縛もなかった20代も、⼤好きな有名⼈に次々会えた30代も、⼊院中看護師さんの優しさに触れた40代も、なかなか良い⼈⽣で、⽣まれ変わっても、⾃分1年⽬からスタートしても良いと思ったり。毎⽇が何かのスタートだと願ったり。さあ、今⽇も頑張るとします。

ピンチはチャンス ~私の保健婦1年目~
