コラム
もう一人の自分づくり。
舞台に立って動物の鳴き真似をする「動物ものまね」という稀有な芸が、私の仕事です。しかも曽祖父の代から、祖父、父、私と受け継いでいます。名乗る名跡は江戸家猫八。祖父が江戸家猫八を名乗っていた頃、父は江戸家小猫という名前で活躍していました。
その後に父が江戸家猫八となり、父がかつて名乗っていた江戸家小猫の名前を受け継いで、私が二代目の江戸家小猫になりました。寄席(よせ)という世界の一員になってはじめて楽屋入りするとき、師匠である父から言われたことはたったひとつだけ、「どこにいたら邪魔にならないかを考えなさい」。その言葉の意味はすぐにわかりました。
寄席は一年を通して年中無休で落語を楽しめる場所で、昼の部と夜の部の二部構成、公演時間はそれぞれ3時間半ほどです。出演する芸人ひとりひとりの持ち時間はおおよそ15分、落語家の師匠たちが自分の出番に合わせて楽屋にやってきて、出番を終えると早々に帰っていきます。そして楽屋は想像する以上に狭いところで、お囃子のお師匠さんたちもいて、楽屋まわりで働く前座さんたちもいて、まさに「ひしめきあう」という言葉がぴったりの空間です。
今、自分が立っている場所は誰の邪魔にもならない場所。でもそれは「今」の話で、出番を次に控えた師匠が着替えをはじめる。次の次の出番の師匠が楽屋にやってくる。前座さんがお茶をもってくる。出番を終えた師匠が戻ってきて帰り支度をする。狭い楽屋の中は刻々とその姿を変えていきます。数分後、自分がいる場所は邪魔になるかもしれない。ならどのタイミングでどこに移動すればいいか。わからないなりにも必死に考えて考えて動いてみました。
そんな楽屋修業の日々、一年半ほどが過ぎた頃でしょうか。父から「その感じでいいよ」と言われました。具体的にどういいのか、修業にどんな意味があったのかは教えてもらえません。私が父の教えをどう受け止めるのか。ここにも父の大事な考えがあったように思います。
当時は、なんとなくまわりを動きを察知できるようになったかな。くらいにしか思っていませんでしたが、あるときもうひとりの自分がちょっと上から俯瞰で自分を見ているような、そんな感覚になったのを覚えています。そしてこの俯瞰の視点は「芸」へと直結していきます。
舞台に立ってお客さんに芸を披露する。客席の空気を察知して、もう一押しするか、早めに次のネタに切り換えるか。喋りの間を変えてみたり、違う言葉に置き換えてみたり。こういった日々の芸磨きに必要なのがまさに自分自身との対話で、舞台の上でパフォーマンスをしながらもう一人の自分がそのあとの展開を考えて空気を探ってくれる。次はどこに行けばいいのか、と。考えて考えて楽屋を右往左往していた感覚に似ているんです。つまり今もなお、一年目の自分と同じ修業の道にいるということですね。
実は、私自身は二十代のすべてを闘病に捧げる経験もしており、病気から学んだ生き方にもまた芸人としての根幹を支えてもらっているんです。その話はまたの機会がありましたときに。今は代々の名跡である江戸家猫八の五代目を襲名して、日々の舞台を楽しくつとめております。もしご興味ありましたら、ぜひ一度どこかでご来場ください。
【五代目江戸家猫八 プロフィール】 1977年、東京生まれ。四代目江戸家猫八の長男。2009年、四代目猫八に入門。2011年に二代目江戸家小猫を襲名。2012年、落語協会に入会。ウグイスほか、江戸家伝統の芸はもちろんのこと、鳴き声を知られていない動物のネタも多数。2019年に国立演芸場花形演芸大賞の大賞受賞。2020年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2023年3月、五代目江戸家猫八を襲名。2024年に落語協会理事に就任。