コラム
泣きそうになった50代半ばの1年目
左の耳にスマホをぎゅっと押しつけたまま、私は途方に暮れていた。2014年の春のことである。
この年の初め、上司にこう告げられた。「ヨーロッパ各国の医療制度や社会保障を取材してみないか」。ロンドンにある日本経済新聞の欧州編集総局への転勤の内示だった。新聞記者になって30年目のことである。それまで私の取材の舞台は東京が中心で、英語を使う必要性を感じたことはない。留学の経験もない。がちがちに錆びついてしまった自らの英語力の貧弱さは言うにおよばず。彼の地でやっていけるのか。
自分の性格を見つめ直すと、無鉄砲なところがある。内示を受けたときもその性格が頭をもたげた。「行けばなんとかなる」
案の定、なんともならなかった。
四苦八苦を重ねながらロンドン中心部のフラット(マンション)に住まいを定め、東京から海路運ばれてきた家財道具を据えつけ、同僚の助けを借りて銀行口座を開設し、電気や水道の手続きをし、中古車を買い、区役所に駐車場の契約を申し込み――と、仕事に慣れるよりも暮らしの基盤を調えることに懸命だった。
それらすべての前提になる小道具がクレジットカードだ。今でこそ日本もキャッシュレス文化が浸透してきたが、10年前の英国のキャッシュレスは、日本のはるか先を行っていた。クレジットカードなしには何もできないのだ。もちろん日本で使っていたカードはあるが、現地で使うたびに法外に高い為替手数料を取られる。早くポンド建てで決済するカードをつくらねば。
カード会社のウェブサイトから申し込むと、本人確認書類が本物であることを証明する弁護士のサインを郵送しろというメールが来る。弁護士を同僚に紹介してもらい、それはクリアした。すると、次は電話で本人確認するというメールが来た。
恐る恐るコールセンターに電話すると「※◎▲★*〒&☆」。出てきた若い男性と思しきオペレーターが話す言葉がまったく聞き取れない。というか、英語に聞こえないのだ。後で知ったのだが、英国のコールセンターはインドなどからの移民が多数、働いているそうだ。彼ら・彼女らに特有の強い訛りのある英語は、私にとって初めて耳にする種類の言語であった。
冒頭の「途方に暮れていた」シーンに戻ろう。スマホを握りしめたまま、私は泣きたくなった。でも救いはあった。私がおかれている立場を察したのだろう、強い訛りのオペレーターが根気強く付き合ってくれたのだ。本来なら1、2分で終わる手続きに15分ほども要しただろうか。悪戦苦闘の末に本人確認ができると「コングラチュレーション!」と労ってくれたのは、聞き取れた。
「行けばなんとかなる」。齢五十代半ばにして多様性あふれる英語の国で暮らしはじめた私の1年目は、こうしてはじまった。

深夜のトランプ
