コラム
14年ぶりの1年目は大ピンチ!
最も厳しかった「一年目」は、看護師25年目にして14年ぶりに臨床現場復帰を果たした時でした。その間は人事異動により看護学校や看護行政で仕事をしていましたので、看護実践能力が低下した状態でした。副師長という職位でしたが、スタッフにとってはかなり頼りない存在であったと思います。かつての教え子に教えてもらうことも多く、業務上の支援も必要としました。分からないことやあやふやなことはメモに残し、帰宅後に調べて知識の整理をして翌日の仕事に臨む。日々その繰り返しで心身ともに疲れ、帰宅するのがやっとで、深夜まで運転席で寝てしまうことも日常茶飯事でした。
元教員の副師長に対して指摘や指導が難しいという声に対しては、自分の仕事の取りこぼしを知らないうちに対応されることは本意ではないことを伝え、同時期に入った新人と同じように支援ノートを作成し、書いてもらうことにしました。細かなことまでさまざまに指摘を受けましたので、落ち込むこともありましたが、それが私の現実だと受け止め奮闘しました。周りも手間がかかり大変だったと思いますが、付き合っていただけたことに感謝しています。
そのような状況でも辞めたいと思わなかったのは、臨床で看護をしたくて異動希望を出し続け、やっと戻れた場所にこれからも居続けたいと強く思ったからです。そして、14年間も臨床現場から離れていたことを「ブランク」ととらえる人もいましたが、私にはずっと看護に携わってきたという自負がありました。配置された病棟の組織文化を理解し、日々の仕事を円滑に進めて全体の業務効率を下げないようにすることに当時の私は苦戦していました。一人前に仕事ができるようになるまでに半年を要しました。
私の復帰一年目には続きがあり、残りの半年を集中治療室で勤務することになったのでした。一難去ってまた一難です。この異動には、新設する小児集中治療室の立ち上げ準備をするというミッションがついており、集中治療室での看護経験がない私に対する看護部の配慮でした。診療の補助業務の多い部署なので、診療材料の調達や使用方法、何よりも重篤な病態の患者理解など、安全に看護を提供するために学ばなければならないことが山ほどありました。小児看護も初めての経験でしたので、実際に手が出せる状態ではなく、戦力外の存在であったと思います。私のミッションはスタッフにも伝えられており、初めのうちはいぶかしがられましたが、必死にミッションに取り組むうちに、説明や資料提供、小児看護に関わる機会の提供など、周りの看護師や医師が手助けをしてくれるようになりました。
心身ともに大変な経験をした一年でしたが、配置された場所で課せられた使命に真摯に取り組むことが困難を突破する力になることを学べたのは大きな成果でした。

情報担当看護師としての一年目
