中堅看護職向けコラム
振り返ってわかる大切なこと
昨春、長く勤めた北海道立保健所の保健師を卒業し、保健師を送り出す側にまわりました。そんな私にも自信のかけらもないまま過ごした時期があり、四苦八苦しながら今に辿り着いたはずなのですが、振り返ると「あっ」という間だったと感じます。家庭訪問や相談で一緒に悩んだり笑ったりしたこと、認知症や心の病気をもつ本人や家族の会と知恵を絞りながら試行錯誤した日々、支援を拒否されて雨が降るなか泣いて帰って来た日等々、一つ一つの出来事が育ててくれたと素直に感謝しています。
そして、忘れられない先輩や仲間がたくさんいます。就職した保健所には、親より年上の保健師さんがいて、この方は終戦後、これだけは守るとして、保健師・看護師・助産師の免許を着物の衿芯に縫い込んで引き揚げたそうです。もう、その時の保健師さんの年を越えてしまいましたが、国が与える免許と、免許を与えられた自分を大事にしなさいと話してくれた眼差しが忘れられません。免許は一生かけて自分で磨くものと教えられた出会いは宝物です。
私の中堅期は就職して7~8年頃から係長になるまでの10年くらいでしょうか。リーダーを任されるようになり、場数も踏んで、人のつながりも増え、判断や選択肢の広がりを実感する時期でもあるので、仕事が面白く感じる時期でした。一方で、知識や情報、企画や提案・交渉の技術が足りないことも実感。モヤモヤの多くは自分の力のなさへの苛立ちだったようにも思います。ただ、ある担当事業が終盤に入った頃、先輩が「もう大丈夫ね」と言ってくれたときは、驚きましたが、周囲が辛抱強く育ててくれていたと分かり、感謝とともに、私もそんな先輩になりたいと思いました。また、子育てと重なり、時間のなさと疲労で、退職の二文字がちらつくこともありました。しかも大規模災害も発生。我が家の育児方針は「セキュリティ」が精一杯でした。
その後も広い道内を転勤し、職位も変わるなかで、モヤモヤは形を変えて続くのですが、知恵も情報も総動員して次の一手が現実に近づくと晴れていったように思います。
さて、キャリアってなんでしょうね。私は、中堅期に、中長期的な目標を立てて向かうのが苦手と気づいて諦め、担当や異動、職位等が変わることを受け入れて、そこで精一杯がんばることにしました。ドリフト型とでも言いましょうか。キャリアの語源は、馬車が通ったあとにできる轍(わだち)とのこと。平地を愚直に走り、立ち止まったり、寄り道したり、時には背伸びして未知の世界に挑戦してみることを続けた先に、振り返れば「わたし」の轍が残っていればいいと思うと気が楽になりました。50歳半ばで大学院の門を叩いたことも贅沢な寄り道になりましたし、看護協会や学会等の所属を超えた横のつながりは今も学びの刺激となっています。モヤモヤは晴れそうにないのですが、仲間の力も借りて、愉しむことを続けていくことにヒントがありそうです。明日は明日の風が吹く。吹く風は思ったより強いこともしばしばですが、保健師は人生を豊かにしてくれることは確かです。貴方自身の可能性を信じて、同じ空の下、一緒に歩きましょう。
※本写真は、北海道江別保健所前庭の桜「御衣黄」です。
道内では珍しいので遠くから見に来る方もいます。黄緑色からピンクに変わるお花がたくさん咲きます。コロナ禍でも春をおしえてくれました。

