中堅看護職向けコラム
モヤモヤとともに歩くということ

気がつけば、50歳を過ぎました。
でも、「人生のモヤモヤがすっかり晴れて、毎日がラララLIFEです!」──そんな軽やかな境地には、まだ至っていません。ただ、最近はこう思うのです。モヤモヤは、人生を大切に生きようとする人のそばに、いつも寄り添っているものなのかもしれない、と。
看護師になって5年から10年ほど、20代の私はまさにそのモヤモヤの真っ只中にいました。正直なところ、看護師になりたいという強い志があったわけではありません。受験で唯一合格したのが地元の看護学校。国家試験にも一度落ちて浪人し、その間に祖父の介護を手伝ったことで、看護師という職を意識するようになりました。地元の市民病院に就職し、小児科に配属。忙しくも充実した新人時代を過ごしました。
しかし、5年目のある夜勤のとき、新人時代の師長から「そろそろ異動かな?」と声をかけられ、「手術室以外がいいです」と答えたのが運の尽き。そのまま異動先が手術室に決まりました。同僚には恵まれましたが、患者さんと直接関わる時間が減り、心のどこかで看護師としての“自分の居場所”を見失ったように感じていました。そんなとき、高校時代の同級生の父であり、水俣病研究の第一人者でもある原田正純先生から、「アフリカの水質調査ボランティアに行かないか」と誘われました。有給休暇を使い、1か月間アフリカへ行った経験は、私の人生を変える大きなきっかけとなりました。
「いつか海外で学びたい」─そんな気持ちをふと思い出し、10年をめどに何かを見つけたときに踏み出せるよう、貯金を始めました。その後、内科に異動し、初診から終末期まで患者さんと向き合うなかで「緩和ケア」という新しい言葉に出会いました。その理念に心を揺さぶられ、「これが自分の看護に必要なものかもしれない」と感じたことを、今でも鮮明に覚えています。海外ではすでに緩和ケアが発展しており、もっと深く学びたいという思いが膨らみました。不思議なことに、緩和ケアを学び始めると、次々とかけがえのない出会いがあり、そして10年目、ようやく自分の留学の目的が明確になり、11年目にオーストラリアへ渡りました。
それからも30代、40代、そして今に至るまで、モヤモヤが消えることはありません。
けれど、そのたびに多くの素晴らしい出会いが私を前へと進ませてくれました。人との関わりが多ければ悩みも増えるけれど、それ以上に人生を豊かにしてくれる──今では心からそう思います。
モヤモヤしているときは、焦らずに少し周りを見渡してみてください。目の前にいくつかの扉があるとき、どうしても開かない扉があるなら、無理にこじ開けなくてもいい。軽く押しただけで開く扉から、そっと入ってみたらどうでしょうか。その選択が、やがて点と点をつなぎ、人生の線を描いていくのです。モヤモヤとともに歩く人生も、悪くないと思いませんか。
※本写真は、対象者様およびご家族の同意を得て掲載しております。

